みなさまへ

関電職員の過労自死が報道されました。原発40年ルール破りの犠牲者だと思います。審査の現場は、時折傍聴するだけでも過酷な状況がみてとれました。公開の審議の他に、非公開の事業者ヒアリングが連日朝から晩まで続きました。いったいいつ資料を準備しているのだろうという状況でした。それはいまも変わりません。

職員は課長職だと伝えられています。「管理監督者」だから労働基準法で定める残業時間制限は受けないとも。思い出したのが、92年の美浜2号炉の事故のとき、関電東京支社で交渉をすると、出てきた職員がみな「課長」だったことです。聞くと、何々課というのはなくて、東京支社にいる職員はみな課長なのだと。その時は、東京に来るときにみな出世させてもらえるのか程度に思っていたのですが、そういうことだったのかと。

今年4月の高浜原発の審査会合の議事録をみると、関電の職員が20人以上並んでいて、でも「課長」と肩書がついた人はほとんどいません。代わりにあるのが「グループマネジャー」という肩書です。これが「課長職」の扱いであるならば、ほぼ全員が課長職以上になります。同じ課に課長がたくさんいるのはおかしいけれど、「グループマネジャー」ならおかしくない、その人たちを管理職扱いにすれば、どんなに残業させても違法にはならない…ということかと。

40年超え老朽炉の審査は、昨年にまず美浜3号炉で躓きました。基準地震動が大きくなったため、耐震安全性評価において、従来の手法では許容値をクリアできない機器が続出したのです。年明けには、認可期限が近い高浜1・2号炉にも蒸気発生器で同様な問題があることが判明しました。

過酷な状況は、規制庁の職員も同様です。殺人的な審査を止める機会は何度かありました。基準地震動が大きくなった後、耐震安全性を示す書類がなかなか出なかった9月、その理由が、従来の手法では耐震安全性が示せないからだと関電が白状した10月、耐震安全性で関電が提出した最初の書類に対し、保守性が考慮されていないと規制委側がダメ出しをした11月、関電の社長を呼んで見通しを聞いて答えられなかったのも11月でした。そして美浜3号炉だけでなく高浜1・2号炉にも問題があることが判明した今年1月…。

その都度、きちんとクリアすべき課題を期限を付けて明確に示し、どこかでクリアできなかったとして打ち切りを宣言すれば、今回の悲劇はなかったと思います。

現場の更田委員も櫻田規制部長も何度も、無理ではないか、間に合わない…と何度も口にしていましたが、審査を打ち切ることなく、逆に関電を叱咤激励し、もっとこうすればよいのではと指南し、必要な実験の先送りまで許して、殺人的な審査を加速したのでした。規制委や規制庁幹部、そして再稼働圧力をかけ続けた安倍政権にも重大な責任があると思います。

高浜1・2号炉に続いて美浜3号炉の40年審査が行われています。40年超えの老朽炉の運転など土台無理であることが明らかになったのです。次の犠牲者が出る前に、このような殺人的な審査は止めるべきです。

阪上 武(原子力規制を監視する市民の会/福島老朽原発を考える会)